はこばこ跋扈

1日1投稿を目標に雑多な内容を書いていければと思っています。最初のうちは迷走を重ねるとは思いますが暖かく見守っていただければ・・・

こんな僕でもカトリック信者として神を信じる理由

はじめに

この記事は「TUT 今年もTwitterしかしてませんAdventCalender 2017」の最終日の記事です。
最初は「とりあえずこのネタ思いついたから25日取れば良いかな?」という気軽な気持ちで登録してました。 今回のこのカレンダーはジャンルに飛んだ豊富な記事が多く、最終日のトリが私になってしまったのは申し訳ない気持ちもあります。
と言っても、宣言した以上は今年の厄を落とすつもりで記事を書いて行きますので、お付き合いの程よろしく御願いします。

今回のテーマはこんな僕でもカトリック信者として神を信じる理由ということで宗教について話して行きます。
しばしば「宗教と政治は避けておけ」とか言われていることから、Web上においても他人との衝突を避けるためにこのような発言することは避けています。 しかし、今日はクリスマスということでキリスト教の話題を少し話すぐらいなら許してくださいという気持ちです。

ですので宗教クソ喰らえって人は続きを読まずに戻ってもらえればなと思います。
それでは本題に移りたいと思います。

宗教とは

実は、これデータ吹っ飛ばして2度目の投稿になるので文章が所々いいかげんだったらすみません。

お前ら、神社とかでお願いするだろそれが宗教だよ

結局のところこれが全てだと思います。
僕・私は何も信じることはないと思っていたとしても、多くの人は「人には成し得ない何かの力」を信じている部分はあると思います。 そう言った部分をどうにかして、具体化しようとしたものが宗教だと思っています。

(以下吹っ飛ばしたはいいが書いた内容忘れた部分ですので思い出せたら書きます・・・)

僕が神を信じる理由

理由なんてなかったです。

本当のことを言ってしまえば、両親がカトリックで小さな頃から教会のミサに連れて行かれた結果そのまま僕もカトリック信者になった過去を持って居ます。
正直な話親や周りの人間がそうだったから自分もそうなんだと流されている部分は大きいと思います。 幼い頃から成長していく過程において、悪く言えば洗脳の様なものを受けて宗教というか神を信じるようになったのだと自己分析をして居ます。

幼い頃は何も疑問を抱かずミサに参加したりとかお祈りをしたりとかして居たわけですけども、小学校高学年から中学生になるに連れてふと疑問に感じる様になりました。「何故、他の人たちは神様を信じているという割に宗教には属して居ないんだろう」と。その頃、僕がカトリック信者であることが発覚して半ば馬鹿にされたり神様を信じる程弱い人間であると罵られたところも合間ってその様なことを考える様になりました。

結局のところ「己の結果と過程のみを信じる人」というのは居なかったんですよね。
俺がやるやり方が全てで、僕が生きる生き方が誤ったとしたらそれは俺自身の全責任であると言える人は少ないと思います。 世の中にはやっぱりどうしようもない事があって、それらの現象に対して目に見えないものに救いを求めたり責任を転嫁したりということはよくあると思います。 結局のところ人間が人間である以上どうしてもエゴというものは存在し、私自身が悪くなかったとしても自らに不利益を被った際にはそうせざる負えないのかもしれません。

一見「俺は宗教なんて気持ち悪いもの」なんて信じないぜとか言っている人であっても、自分以外の何かに助けを求めたりしているんだったら私が宗教を信じているのと同じ事ではないのでしょうか? そう考えるようになったら、今までの私の疑問はスッと消えたように思えたのです。

結局のところ心の拠り所が宗教というだけであって、僕が神を信じる理由はそこに僕なりの心の支えになる柱が存在したからだけなのです。

おわりに

如何でしたか?正直な話、この記事を敬虔なカトリック信者の方に見られたら「罪の告白をして来なさい」と諭されるような気がしています。

そうですね、その通りだと思います。

結局の所、世界の中には沢山宗教があるわけであるですからその数だけ思想があって神様がいて教えが存在します。 日本の中では全ての物に神が存在して八百万の神とまで呼ばれる状態です。 このような状態において、「正しい世界」だとか唯一の答えがこれである!と叫び続けることは不毛だと考えています。

結局の所、死後の世界や自分が観測することのできない世界というものは「わからない」としか言えないんですよね。 どの宗教においても「これが絶対的な証拠である」と断言できる資料が存在しないのですから、そういうものとして考える他ありません。 外国はどうか知りませんが、日本のカトリック教会においては仏教は神道といった他の宗教を否定することはしてないように感じます。 少なくとも、自分が所属している教会の神父様はそう仰ってますしそんな感じなのかなと思っています。

宗教を信じている人たちも根拠があるから信じるではなく「そこに自分の信じるものに近しいものがあるから」と言った理由で信仰しているわけですから、そこに理屈なんて必要はないと思います。 世の中は全て理屈で動いているから、宗教なんて胡散臭いとか言ってしまう人も極端に言ってしまえば「理屈を信仰している」と言ってしまえるのです。 したがって、僕のように心の拠り所としての宗教というぐらいの立場で宗教について考えるのが一番気楽で心理的にも良いんじゃないと思います。

「並行世界ではアイドルのプロデューサーだから、この世界には修行に来てるんだ」

とか思っていたとしてもその人の心がそれで平常に保たれるんだったらそれがその人にとっての正解なんだともいます。

結局宗教なんてそんなもんです。
変に怪しいものとか、気持ち悪いものとして捉えずにもう少し近しいものとして感じてもらえると助かります。

日本においては無神教が多いですけども、神を信じている人たちは気持ち悪い人ではありません。
この点に関しては、日本における外国人観とも同じことが言えるのですが「よくわからない人たちを排除する」のではなく「受け入れられる」心を持つ事が大事だと思います。

ちなみに今日も勃ちません。そういう世界です。

はこね